前世の記憶が蘇ってくるわけです。この歌を聴いていると。
曲もいいけど歌詞がすごすぎるので、今日は歌詞も貼っておく。
Galileo Galilei バナナフィッシュの浜辺と黒い虹 with Aimer 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)
Galileo Galilei 『BaTW』Tourより「バナナフィッシュの浜辺と黒い虹」(2023.06.24 at Zepp Haneda) (youtube.com)
何がすごいって、言葉の高純度な結晶化作用がすごい。
この歌詞を読んでいると、「私は確かにこの経験をした」と信じそうになってしまうのだ。
試みに、私の前世を思い出してみよう。
あれは高2の夏の午前3時のこと。私はぎしぎしと嫌な音を立てるママチャリに乗って、目的もなく海までの坂道を下って行ったんだった。
ずっと前におばあちゃんがおみやげにくれた、しけたグッピーラムネを舌の上で転がしながら。
これはちょっといけないオクスリなんだ、なんて妄想をしながら。
ここは稚内。人口4万人の北海道最北端の街。都会の子と同じ娯楽は手に入らない。どんなに手を伸ばしても、それらはスマホの画面の向こう側にしかない。
私の手はきらきらしたものなんて何にもつかめないから、きらきらを手に入れたり手放したりしてる子たちが出てくる漫画を手に入れたり手放したりする。街のいちばん大きな古本屋で。
「本当の私“なんか”は何にも持ってない“ですから”」って、丁寧語でちょっとだけ自分を卑下する。そんな自分が嫌い。
私はこの街ではちょっとだけ感度の高い子。趣味の合う友だちだっているし、たまにはヴィレヴァンで買ったおしゃれな雑貨や、好きなサブカルバンドをLINEグループで自慢したりなんかする。
でも、何かが埋まらないんだよ。どうしても。だから私は舌の上で「アレ」を転がしながら海を目指す。
…という記憶。
一方、今生での私は、首都圏の私鉄沿線に暮らす、わりと勉強熱心な高校生だった。だから「都会の子」とまではいえないまでも「田舎の子」ではなかったはず。海に面していない地域に住んでいたから、自転車で浜辺には行けなかった。
初めてヴィレヴァンに行ったのは大学生になってからだった。家のわりとすぐそばにあったのに、高校生のころは存在に気づかなかったのだ。ライブに初めて行ったのは社会人になってから。
だから、あれは前世の記憶なのだ。ところどころは曖昧だけど、きちんと思い出せるのだから。
…待てよ。
ぽちぽちとスマホで検索。どうやらないっぽい。ヴィレヴァンは北海道では札幌を中心に展開しているようだ。考えてみれば、人口4万人の街では経営が成り立たないかもしれない。さらに調べた。どうやら稚内には美容の専門学校はないらしい。
じゃあこれは前世の記憶ではないのか?尾崎雄貴が言葉で作り上げた世界があまりに鮮やかすぎて、そして私が尾崎の来歴(稚内出身であることなど)を知っているから、まるで本当のできごとであるかのように思い込んでしまったのか。私は稚内で確かにこの経験をしたことがある、と。
でもそれは大間違いの思い込みだったらしい。
…という下手な小芝居を打ちたくなるくらい、この歌詞の出来は完璧だと思う。
いちばん好きなのは、語り手が「あーああいつは 美容師すぐに辞めるでしょ ここに戻ってきて潮でも舐めてろ」と毒づくところだ。こういう唐突な暴力性の発露があるから、私は尾崎の歌詞を好きでいることがやめられない。
そして、2番の「私たちに愛される~」からのAメロの歌詞も秀逸だ。持たざる子の鬱屈をこんなにシニカルに端的にユーモラスに表現した言葉を私は知らない。差別ではなく事実として、地方の小規模の都市に住まう人が文化的なイベントに触れる機会は少ない。感性のきわめて高い若者にとって、この状況が絶望的といっていいほどのフラストレーションであることは容易に想像がつく。
こうして前世の記憶という思い込みから解き放たれた私は、この歌の歌詞が尾崎の生の体験の全き反映でないことを理解した。一方で、「田舎の子」の鬱屈の表現は「田舎の子」として育った尾崎の実感におそらく深く根差している。歌詞は作詞者の体験そのものでないだろうけれど、まったく実感のない詞を書くこともまた難しいだろう。その虚構と現実のあわいを、リスナーとしての私は楽しませてもらっている。
つまりはだ。私のものでない人生を、たった一曲の歌を通じて味合わせてくれてありがとう尾崎さん、という話。前世関係なかったな。
話は全く変わるのだけど、御年二けたに満たない私の子が、私のパートナーの誕生日にこんなバースデーカードを書いた。
「ふつうに好きだよ
(バナナのイラスト)(魚のイラスト)
4587年5月21日」
ガリレオを全く知らない私のパートナーの気持ちやいかに。さぞかし戸惑ったことだろう。4587年って。これが西暦の年号だとして、人類は今のように存在しているだろうか、きわめて怪しい。
捉え方によってはひどくロマンチックなメッセージという気もするけれど。
ハッピーバースデイ・ディア・マイ・パートナー。生まれてきてくれてありがとう。
バナナフィッシュを見たら死ぬらしいよ。気をつけてね。
ああ、もう見ちゃったか。